師の教え『弥勒の世』

糸島まごころ葬儀羅漢の竹島です。

私が師と出会ったのは、不惑の年には程遠い四十三歳の時でした。当時、私は長崎県のFRP漁船を建造する造船所に勤めていました。

『人間を知るには葬儀の仕事をするがよか』

そのように教わってから、葬儀業界に飛び込んだのは、すでに五十の声を聞くようになってからでした。

最初私を受け入れてくださった長崎県の葬儀社の先輩から、「若い者に使われてまで葬儀の仕事がしたいの」と尋ねられました。

・・・『苦しい方を選べ』とも師から教わりました。

それから諸先輩(私よりずっと若い先輩もおりました)の指導を受けながら懸命に勤めました。五十歳に達したまったくの新人を雇用していただき、葬祭ディレクターに育てていただいた事に、ただただ感謝するばかりでした。

その後、師がおられる糸島の、まごころ葬儀羅漢に就き二十年の月日を過ごしてきました。

20年間見てきた景色をスケッチしてみました。

最近何故か、師のある言葉がよみがえります。

『弥勒の世が来なくてはね』

「弥勒の世・・・」

『争いごとのない世界たい』

師は一言で言い切りました。

つい数日前の事です。

過去の書類を整理していた時、ビジネス手帳(2005年版)に目が止まり、めくってみると、2月12日の欄に、

一ヶ月ぶり位に師に会いに行く。

弥勒の世(争いのない世界)と記されてありました。(そんな前に教わっていたとは)

書物によれば、 

釈迦入滅後五百年は正法時代、それから千五百年後までは修業をしても悟りに到達できない像法時代、その後を末法時代とされ、まさに現代はそれにあたります。

弥勒の世とは釈迦入滅後、五十六億七千万年後に弥勒菩薩という仏が出現し、衆生を救済するとされる未来の世界のことをいう。とあります。

(弥勒の世はきっと愛だけで出来ている世界なのだと思う)

今まで様々な仕事に就いてきましたが、今に至れば、葬儀の仕事を二十五年続けていました。

まよいの人生の中で師と出会い、葬儀の中で数えきれない人の別れに立ち会い、私自身も多くの出会いと別れを繰り返してきましたが、師の教えを思い返す度に自分の未熟さを思い知らされるばかりです。

仏の世界が時間も空間も超えたところにあるのなら、人は意識の中で弥勒の世を見つめることが出来るのかも知れません。

たぶんこれが最後の投稿になるはずです。

これから私の第二の人生がはじまります。

今まで出会った多くの人々、すべての出来事に感謝して、師の教えを胸に、明るく健やかにすごしていきたいと思います。