こんにちは。代表の徳久です。このページをご覧いただき、誠にありがとうございます。
おかげさまで、有限会社 羅漢は創業25周年を迎え、記念の会を行いました!!!
私が、先代社長より代表の座を譲り受けたのは、25歳の時でした。右も左もわからない、ましてや決算書の「け」の事もわからない、とんだひよっこでした。
自宅葬儀の専門会社としてスタートした、我が社。国道の少し路地の奥にプレハブが2棟並んだだけの小さな会社は、「どこの馬の骨が始めたか、わからない会社」、「変な宗教」、「危険な会社」、などなど…まぁ〜世の中にはこんな言葉もあるのだと、様々な声を聞き、新参者がスタートすると言う事は、こんなにも辛い言葉を浴びせされ、生きていかなければならないのかと、当時は顔が青白くなるばかりでした。
私はそんな風評被害にだけは潰されたくない。皆が一丸となり、スタートした会社だからこそ、一生懸命やっているからこそ、地域で認められたいそんな思いを、辛い思いのたびに思い返しては、継続して参りました。
もちろん、そんな状況下です。資金繰りもいつも崖っぷちで、数ヶ月先は闇と言う生活を、10数年ほど繰り返しましたが、葬儀場を建築することができてから、少しずつ周りからも認められるようになりました。
事業開始から15年がたち、一念勃起した【民間救急事業】。私の祖母の看取りや、恩師の看取りに関わらせていただいたおかげで、それが強い原動力となり、今では全国各地へ患者様をお連れする事業へと発展させることができました。
そしてその頃巡り会った、最愛のパートナー。幸いにも看護師として幾多の経験を積んだ妻の存在は今ではとても大きく、我が社にとって無くてはならない存在となりました。
25年、事業を継続してやってきて分かったことは、長く継続できる企業には、どんなに辛い時があっても陽の目を見ないことはなく、その時を、「皆で分かち合うこと」の喜びに満ち溢れた瞬間があると言うことです。
我が社に在籍し、長きに渡り貢献してくださった仲間たち。その、昭和世代真っ只中の人が大好きなカラオケがある場所を、今回の場所として選ばせていただきました。
最初は大人しく始まった会も、いつのまにか賑わい、調子を崩していたスタッフさんもどうやら上機嫌で足取りが軽い、軽い。
我が社には懇親会は2時間というルールがありますが、この日だけは3時間(私は反省文だな)。
皆が盛り上がったところで!!!
記念品の進呈です。これも会の1週間前に妻が提案し、見つけて準備してくれました。
穏やかな瞬間から記念品をサプライズで1人1人に渡し、皆それぞれに私の感謝の気持ちを伝える。感極まって時につたい落ちる、涙。。。
ふと、こんな言葉を思い出す。
「早く行きたければ、1人で行け。遠くへ行きたければ、皆で行け。」
まだ大きな夢の途中ですが、私は、自分1人よりも皆で夢を掴み、会社が皆が幸せになる。そう、あらためて誓った日。
このメンバーでこの瞬間を迎えられたことに、感無量でした。